安田精機製作所は、1955年7月15日に安田三郎によって創業されました。当初は理化学機器の製造・販売(ロウトやフラスコなど)し、大阪を拠点に展開しました。戦後の物資不足の時代、安田三郎氏は「鉄を集めて何でも作る」という精神で事業を拡大しました。
安田三郎氏は商売人としてのバイタリティと親しみやすさを持ち、多くの人々を引き寄せました。その中には優れた技術者も含まれており、こうした人材との出会いが事業の成長に繋がりました。
初代代表 安田三郎氏
理化学機器部品の製造を行う
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皆様への感謝を込めて安田精機製作所、70年の誇り
2024令和6年
1955昭和30年
安田精機製作所は、1955年7月15日に安田三郎によって創業されました。当初は理化学機器の製造・販売(ロウトやフラスコなど)し、大阪を拠点に展開しました。戦後の物資不足の時代、安田三郎氏は「鉄を集めて何でも作る」という精神で事業を拡大しました。
安田三郎氏は商売人としてのバイタリティと親しみやすさを持ち、多くの人々を引き寄せました。その中には優れた技術者も含まれており、こうした人材との出会いが事業の成長に繋がりました。
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1956昭和31年
三郎氏は元々東京の中野に住んでたこともあり、土地勘のあった東京でも工場を開設。創業初期から東京と大阪の2拠点での活動を開始し、少しずつ事業を拡大してきました。
1960昭和35年
豊中市永楽荘にあった当時の工場は、木造の二階建ての棟と、敷地奥にある三階建ての棟で構成されていました。
この工場では製品の開発から出荷前の品質検査までの工程を行い、当社の主立った業務を担う重要な施設でした。
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1965昭和40年
さらなる事業拡大と迅速な顧客対応・アフターサービスを目指し、東京営業所を板橋区大山町に開設。この新拠点は高速道路や交通機関のアクセスがよく、関東圏における活動の利便性が飛躍的に高まりました。
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1972昭和47年
貿易部の設立に伴い、新たに3名の社員が入社し、この頃から東南アジアへの輸出事業を開始しました。
グローバル展開を開始した理由の一つに、三郎氏が展示会等で構築した海外人脈があります。
三郎氏は元々海外への関心が高く、海外にも頻繁に渡航していたようで、韓国や台湾、1988年のソウルオリンピックにも観戦に行ったと記録があります。
当時、東南アジアでは繊維関係の製品に対する需要が多かったことも海外進出の後押しになりました。
またこの年には経理課も新たに設立され、より企業として体制を整えていきました。
1975昭和50年
当社は、輸出貢献企業として通算大臣より表彰を受けるという栄誉に浴しました。この表彰は、当社が長年にわたり日本製品の輸出に大きく貢献してきたことを評価されたものです。
積極的な市場開拓戦略も重要な要因となり、海外市場のニーズを的確に捉え、現地のパートナーシップを築き上げることで、効率的かつ効果的に市場シェアを拡大してきました。現在では納入した国は27カ国と拡大しています。
1980昭和55年
三郎氏が病気になったことをきっかけに、息子の安田幸三氏が社長を引き継ぐことになりました。
幸三氏はその穏やかな人柄から、社員からも支持を集めていました。幸三氏が社長に就任してから、総合試験機メーカーとしての要素が強化されていきました。
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1981昭和56年
アナログからの脱却と効率化を目指し、コンピューターソフトウェア開発部を設立しました。
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当社では染料の調合装置を製作しており、オートラーや塗料の調合機、洗浴装置など、さまざまな関連機器を手掛けてきました。
自動機のデザインは外部のデザイン屋に発注しています。洗浴装置とは、塗料と水、溶剤を混ぜて染料を作る機械です。
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開発当初、自動機に他社の手動機を組み合わせ、自動機と合体させた試料の自動挿入・試験・自動掃除機能を持つ1台目を製作しました。
しかし、手動機の炉の保持力が不足しており、少し力が加わると位置ずれして使い物にならないことが判明し、断念しました。
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初期のクリープ試験機はB型クリープの竿式が主流で、竿の比率は1:1、1:2、1:3、1:5の4種類、荷重も100KG、200KG、300KG、500KGの4種類がありました。シンプルな設計で信頼性の高い試験が行えました。初期設計では、上部チャックが竿に連結された軸に取り付き、下部チャックがフレーム下から立ち上げた軸に取り付いていました。この構造により、試料の固定が確実に行われ、正確なデータが得られました。
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1984昭和59年
ヒートデストーションテスターの自動化設計には多くの苦労がありました。特に、試料カセットを油槽の右側に3連式で配置し、2つのシリンダーで3つの位置に動かす仕組みの構築が難関でした。試料がビカット用、ISO試料用、ASTM試料用のストッパーで正確に停止するよう調整するのに苦労しました。
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完成した148-HDAは、展示会にも積極的に出展されました。特に、HDA(自動機)の展示では、多くの関心を集め、プラスチック・樹脂業界関係者から高い評価を受けました。展示会では、実際に装置が動作するデモンストレーションを行い、試料の自動投入、試験、廃棄までの一連の流れを披露しました。これにより、来場者は装置の高い性能と効率性を直接確認することができました。この展示会への出展を通じて、新たなビジネスチャンスが生まれ、148-HDAの販売は当社の主力製品としてさらに拡大しました。
148-HD-500高温デストーションは、高温環境でプラスチックの耐熱性を測定する装置です。高温用に、架台、加圧軸、加圧端子には石英ガラス製を使用しています。これにより、高温での試験時にも安定した性能を発揮します。
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1985昭和60年
永楽荘付近に住宅が建ち始め、近隣住民への環境を配慮するために、新しい工場の設立を検討しました。そこで、立地条件やアクセスの良さを考慮し、空港付近に豊中工場の2件目を設立することを決定しました。この地域は工業エリアとして適しており、音の影響を軽減できると考えられました。これにより、地域住民との共生を図りながら、持続可能な工場運営を目指し、地域社会との調和を図ることが期待されました。
1987昭和62年
当社は引張試験機(オートストレン)を開発しましたが、他社に遅れを取っていました。当時、他社の機械が先行しており、種類も多く価格も安価だったため、当社の製品はあまり市場での競争力を発揮できませんでした。
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1990平成2年
当時は社員寮も併設しており、社員が仕事に集中できる環境づくりを整えていました。さらに、社員が休暇の時に自然の中でリラックスし、日常の業務から離れてリフレッシュできるようにと、この当時は東条湖に保養所があり、ログハウスでバーベキューを楽しめるようになっていたようです。残念ながら工場の移転に伴い、この保養所は閉鎖となりましたが、バーベキュー行事は現在でも当社の恒例イベントとして根付いています。
1991平成3年
伊丹空港の隣に暫く工場を設営していましたが、業務の統合を目指して新しい土地を探しました。新工場の増設時には、試験機の配置や加工場、倉庫、デモ室の設置が行われました。奥には検査室と中間の物置き場を設けました。この増設により、工場全体の効率と機能性が向上しました。
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過去に当社は、アジア市場での事業拡大と地域のお客様への迅速な対応を目指し、シンガポールに駐在事務所を開設しました。
シンガポール駐在事務所の設立のきっかけは、幸三氏が展示会で知り合ったシンガポールの友人です。この友人との繋がりを通じて話が発展し、現地でのお客様に対するサービスの質とレスポンスが大幅に向上しました。現地での市場調査やお客様との直接的なコミュニケーションを強化し、現地のニーズに即応した提案が可能になりました。
シンガポールの企業や業界団体との連携を深め、協力関係を築くことで、事業の成長を加速させることができました。
幸三氏の病気をきっかけに、息子の陽太氏(現社長)と真太氏が後継者として入社しました。社長が亡くなり、妻の淑子氏がピンチヒッターとして代表を務めました。
前職が銀行員だった陽太氏は、財務の安定と営業戦略の強化を進め、アルバイト時代に学んだAdobeソフトを駆使し、写真撮影やカラー印刷、SEO対策などを導入し、PRを強化しました。その結果、入社から2、3年後にはインターネットからの問い合わせが増加しました。
真太氏は機械設計で経験を積み、工場の現場監督となりました。現在、陽太氏は安田精機製作所の社長に就任し、真太氏は安田精機ホールディングスの社長として活躍し、2社は成長を続けています。
1994平成6年
当社はダイニスコ社と提携し、FWP手動メルトの開発を行いました。この提携は展示会での出会いがきっかけです。
ダイニスコ社の先進技術と当社の製造ノウハウを融合させ、より高品質で効率的な製品を市場に提供することができました。この提携により、技術者同士の交流が活発になり、新たなアイデアの創出が促進されました。
1995平成7年
創立40周年を迎え、社員数が32名になりました。新入社員の積極的な採用により、チームの総合力も向上しました。40周年記念の祝賀会では、過去の功績を称え、未来への展望を共有しました。
2001平成13年
ISO9001の認証・登録を取得しました。以下の文書を作成、厳しい審査を通過しました。
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2003平成15年
豊中市永楽荘の老朽化に伴い、本社機能を西宮北工場に統合されました。この統合により、すべての業務を一箇所で行えるようになりました。
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2004平成16年
東京営業所を開設し、当初の大山から板橋へ移転しました。移転の決定は陽太氏が行いました。新しい場所は商店街が近く、アクセスが良く非常に便利な立地です。また、周囲にはたくさんの食べ物屋があり、食事の面でも充実しています。
2009平成21年
メルトフローレート試験において西宮優良事業所表彰を受賞しました。従来、自動化が困難とされていたパウダー、シート、フィルム状の異なる形状の試料装入について、完全に一貫した自動測定を実現しました。
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2010平成22年
エコアクション21は、環境省が策定した環境経営システムであり、持続可能な社会の実現に向けた企業の努力を認証するものです。当社は、この認証取得により、環境保全活動に真摯に取り組んでいることを正式に認められました。
2013平成25年
中国・上海に雅司答(上海)貿易有限公司を設立しました。これにより、中国市場への進出を本格化させ、現地のお客様との信頼関係を深め、迅速かつ柔軟な対応が可能となりました。上海はアジアのビジネスハブとしての重要性が高まっており、この拠点を通じて多くのビジネスチャンスを掴むことができました。また、現地の代理店と協力し、ローカルなニーズに応じたサービスを提供することで、さらなる成長を目指しています。
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2015平成27年
華やかな雰囲気の中、美味しい料理や飲み物が振る舞われ、会場は笑いと歓声に包まれました。参加者全員が楽しめるゲームが行われ、Sさんが見事に勝ち抜き、豪華景品である京都ホテルオークラの宿泊券をゲットし、喜びの表情は一同の注目を集め、皆が祝福しました。
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2017平成29年
社員数の増加で作業スペースが狭くなったため増築を決定。これにより、営業部の努力で受注数が増加し、生産性も向上しました。また、駐車場の問題も解決されました。増築によって、会社全体の生産能力と業務効率が大幅に改善されました。
2021令和3年
株式会社安田精機ホールディングスに社名を変更し、株式会社安田精機製作所と分社化しました。これにより、安田精機ホールディングスは海外市場への展開を本格化し、安田精機製作所は製品の開発・製造に専念できる体制が整いました。また、安田真太氏は海外市場の調査や展示会への参加を通じて、海外の取引先との関係を強化しました。この新体制により、国内外の市場競争力が一層高まり、効率的な運営が実現しました。
これまで社長を務めていた淑子氏に代わり、陽太氏が新たな社長に就任しました。陽太氏のこれまでの実績とリーダーシップが評価され、新たなビジネスチャンスを追求し、グローバル市場での競争力を強化することが期待されています。社員一同、陽太氏のリーダーシップの下で、さらなる飛躍を目指して取り組む決意を新たにしています。
2024令和6年
CHINAPLAS2024は、4月23日から26日まで中国・上海で開催された、プラスチック・ゴム産業の世界最大規模の展示会です。当社は「120-LABOT」と「189-PNCA」を出展し、中国や世界各国の企業や開発者に製品や安田精機を知ってもらうことを目指しました。現地代理店のスタッフの協力もあり、多くの方々が足を運んでくださいました。
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社員数が100名を超え、会社は新しい節目を迎えました。採用活動に奮闘した結果、優秀な仲間を迎え入れることができました。新しい仲間と共に働くことで、会社全体が活気に満ち、豊かなアイディアが生まれます。私たちはお互いを支え合い、共に成長してきました。サービス・品質の向上を目標に、効率的な情報共有や連携を進め、皆が最大限のパフォーマンスを発揮できる環境を今後も整えていく方針です。また、教育や研修の機会も増え、全員がスキルアップを図りながら、協力しています。