皆様への感謝を込めて安田精機製作所、70年の誇り

さまざまな視点とつながりで描く、未来のカタチ。

2025年、安田精機製作所は誇りをもって創立70周年を迎えます。
皆様のご支援と社員一人ひとりの努力と情熱が、
この70年を築き上げてきました。
感謝の気持ちを込めて、これからもさらなる飛躍を目指してまいります。

2024令和6年

70年間の
軌跡をたどる

数々の挑戦と成長。

1955昭和30年

  • 自由民主党(自民党)結成
    長期政権開始
  • 日本高度経済成長スタート
  • トヨペット・クラウン発売
  • スズキ・スズライト販売
  • アインシュタイン死去
  • ワルシャワ条約締結
  • 英 W・チャーチル首相辞任
  • MINI(ミニ)発売
  • SONY、トランジスタラジオ発売
  • 音響装置付き信号機が設置
HISTORY 01 安田精機のはじまり。

安田精機製作所は、1955年7月15日に安田三郎によって創業されました。当初は理化学機器の製造・販売(ロウトやフラスコなど)し、大阪を拠点に展開しました。戦後の物資不足の時代、安田三郎氏は「鉄を集めて何でも作る」という精神で事業を拡大しました。
安田三郎氏は商売人としてのバイタリティと親しみやすさを持ち、多くの人々を引き寄せました。その中には優れた技術者も含まれており、こうした人材との出会いが事業の成長に繋がりました。

初代代表 安田三郎氏
安田精機製作所 創業
初代代表 安田三郎氏
事業は代理店としてスタートしましたが、大量消費の時代から品質を重んじる声が高まり、工業規格に対応するために部品素材にも注目し、試験機の製造を開始しました。当時、他社の製品を取り扱いながら、自社でも試験機の製造に取り組みました。また、研究所も設立し、製品の開発や研究を行いました。
当時の事務所 当時の事務所
理化学機器部品の製造を行う
研究所入り口 研究所入り口
研究所外観 研究所外観
シャルピー衝撃試験機 シャルピー衝撃試験機
パルプ用ミキサー パルプ用ミキサー
ヒートデストーションテスター ヒートデストーションテスター

More

Close

1956昭和31年

  • 日本が国際連合に加盟
  • 日ソ国交回復 共同宣言調印
  • 太平洋横断ケーブルを使った
    電信サービスを開始
  • 初の全国学力調査を実施
  • 大阪市が政令指定都市に
  • ハンガリー動乱
  • 第2次中東戦争
  • 人工知能を提唱
当時の様子
当時の様子
HISTORY 02 東京工場開設

三郎氏は元々東京の中野に住んでたこともあり、土地勘のあった東京でも工場を開設。創業初期から東京と大阪の2拠点での活動を開始し、少しずつ事業を拡大してきました。

1960昭和35年

  • 日米安全保障条約締結
  • カラーのテレビ放送が始まる
  • 60年安保闘争
  • 身体障害者雇用促進法
  • 所得倍増計画を閣議決定
  • ケネディが米大統領選挙で勝利
  • チリ地震津波
  • 5産油国がOPEC設立を宣言
  • アフリカで植民地の独立ラッシュ
HISTORY 03 大阪府豊中市永楽荘、
本社研究所開設。

豊中市永楽荘にあった当時の工場は、木造の二階建ての棟と、敷地奥にある三階建ての棟で構成されていました。
この工場では製品の開発から出荷前の品質検査までの工程を行い、当社の主立った業務を担う重要な施設でした。

豊中工場本社
豊中工場本社
一階には加工機械が設置され、加工場として精密な機械加工が行われていました。また、二階は作業場兼事務所として設計部門や営業が業務を行うフロアでした。三階には試験機の展示室があり、新製品の試験デモなども行っていました。
この当時は機械設計者3名・電気設計者3名、営業担当5名の合計11名の規模で運営されておりました。
工場の敷地内には10本の桜の木があり、春になると満開の桜の下で全社員が集まり、お花見を楽しみながら社員同士の交流を深めていたようです。
桜の満開時 桜の満開時
建屋の屋上にはお稲荷さんがいました。
現在は社長の部屋にお引越ししています。
建物屋上
記念碑 記念碑
お稲荷さん
3階 展示室 3階 展示室

More

Close

1965昭和40年

  • 佐藤榮作内閣総理大臣就任
  • 名神高速道路が全線開通
  • いざなぎ景気
  • 山陽特殊銅 倒産
  • ジャイアント馬場、
    インターナショナル・ヘビー級王座に
  • トヨタ2000GT発表
  • 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受賞
  • ベトナム戦争拡大
  • ミニスカート世界を席巻
東京営業所
東京営業所
HISTORY 04 東京営業所開設。

さらなる事業拡大と迅速な顧客対応・アフターサービスを目指し、東京営業所を板橋区大山町に開設。この新拠点は高速道路や交通機関のアクセスがよく、関東圏における活動の利便性が飛躍的に高まりました。

展示会の様子 展示会の様子
これまで課題だった首都圏や関東のお客様へのサービスの質が向上し、お客様との関係性の強化に努めることで、新たなビジネスチャンスの発掘とネットワーク拡大を実現、安田精機の事業が加速度的に拡大していきました。
さらに、この頃から展示会にも積極的に出展し、市場拡大を図っていきました。

More

Close

品質を世界に。

1972昭和47年

  • 沖縄返還
  • 佐藤首相辞任 田中 角榮首相就任
  • あさま山荘事件
  • 田中首相が訪中 日中国交正常化
  • ニクソン訪中 米中関係、正常化
  • ホンダ・シビック発売
  • 日本列島改造論
  • パンダが初来日
  • 山陽新幹線 新大阪-岡山間 開通
  • 一般家庭に電話機が普及
HISTORY 05 東南アジア方面への輸出を開始。

貿易部の設立に伴い、新たに3名の社員が入社し、この頃から東南アジアへの輸出事業を開始しました。
グローバル展開を開始した理由の一つに、三郎氏が展示会等で構築した海外人脈があります。
三郎氏は元々海外への関心が高く、海外にも頻繁に渡航していたようで、韓国や台湾、1988年のソウルオリンピックにも観戦に行ったと記録があります。
当時、東南アジアでは繊維関係の製品に対する需要が多かったことも海外進出の後押しになりました。
またこの年には経理課も新たに設立され、より企業として体制を整えていきました。

1975昭和50年

  • 公労協、スト権スト
  • 資本自由化と部品の輸入自由化
  • 広島カープ初優勝
  • マツダ・コスモAP発売
  • 中国道県内全線開通
  • 第1回先進国首脳会議(G7)開催
  • レバノン内戦
  • ベトナム戦争終結
  • 米Microsoft社 創業
  • 「ジョーズ」公開
HISTORY 06 輸出貢献企業として
通算大臣より表彰を受ける。

当社は、輸出貢献企業として通算大臣より表彰を受けるという栄誉に浴しました。この表彰は、当社が長年にわたり日本製品の輸出に大きく貢献してきたことを評価されたものです。
積極的な市場開拓戦略も重要な要因となり、海外市場のニーズを的確に捉え、現地のパートナーシップを築き上げることで、効率的かつ効果的に市場シェアを拡大してきました。現在では納入した国は27カ国と拡大しています。

代表の交代。

1980昭和55年

  • 鈴木 善幸総理就任
  • 福井謙一氏がノーベル化学賞
  • ソフトバンクが創業
  • 日本車の対米輸出規制開始
  • ヨハネ・パウロ2世が初来日
  • 神戸ポートアイランド博覧会
  • 「なめネコ」ブーム
  • 米レーガノミックス計画発表
  • スペースシャトル初号機
    「コロンビア」打上げ
  • チャールズ英皇太子婚礼
HISTORY 07 2代目社長、
安田氏に交代。

三郎氏が病気になったことをきっかけに、息子の安田幸三氏が社長を引き継ぐことになりました。
幸三氏はその穏やかな人柄から、社員からも支持を集めていました。幸三氏が社長に就任してから、総合試験機メーカーとしての要素が強化されていきました。

2代目代表 安田幸三氏
2代目代表 安田幸三氏
工学部出身であることから技術面でも優れた知識と技術を持っていました。初めは電気設計として入社しました。また、父の影響もあり、海外への意識も高く、積極的にシェアを拡大しました。幸三氏のリーダーシップのもと、当社はさらなる成長を遂げました。
台湾展示会にて 台湾展示会にて 安田幸三氏
安田幸三氏(左)とロイド社ホスケット氏(右) 安田幸三氏(左)とロイド社ホスケット氏(右)
台湾の取引会社との写真 台湾の取引会社ウェス氏(左から2番目)、ロイド社ホスケット氏(右)と安田幸三氏(中央)

More

Close

デジタル化・自動化へ挑む。

1981昭和56年

  • パイオニア レーザーディスク・
    プレーヤー発売
  • 日本の乗用車生産台数が世界一に
  • 一億円拾得事件
  • 神戸・異人館街が
    重要伝統的建造物群保存地区に
  • モスクワ・オリンピック
  • イラン・イラク戦争勃発
  • ジョン・レノン殺害事件
  • 韓国でデモ隊と戒厳軍が衝突
  • 神戸ポートアイランド完成
コンピューターソフトウェア開発部
HISTORY 08 コンピューターソフトウェア
開発部を設立。

アナログからの脱却と効率化を目指し、コンピューターソフトウェア開発部を設立しました。

当時のLABOT
ソフトウェア開発により、顔料を自動調合する装置(オートラー)を開発。このオートラーは大変好評で、約8億円の売り上げを記録。
また、メルトフローレート試験を全自動化したLABOTがユーザーの支持を得て当社の大ヒット製品となりました。
さらに、当社はヒートデストーションテスターの全自動化(HDA)を初めて実現し、自動化技術の先駆者としての地位を確立しました。

More

Close

HISTORY 09 染料の調合装置を製作。

当社では染料の調合装置を製作しており、オートラーや塗料の調合機、洗浴装置など、さまざまな関連機器を手掛けてきました。
自動機のデザインは外部のデザイン屋に発注しています。洗浴装置とは、塗料と水、溶剤を混ぜて染料を作る機械です。

オートラー(自動) オートラー(自動)
当初は手動タイプが主流で、カードを使って必要な色の塗料を計量し、針金の金具を使って正確に調合していました。塗料を入れて金具で測りながら、カードに従って必要な色と量を手動で混ぜる方式で、多数の手動調合装置を製作してきました。
オートラー(手動) オートラー(手動)

More

Close

当時のLABOT
HISTORY 10 LABOTの開発に傾注。

開発当初、自動機に他社の手動機を組み合わせ、自動機と合体させた試料の自動挿入・試験・自動掃除機能を持つ1台目を製作しました。
しかし、手動機の炉の保持力が不足しており、少し力が加わると位置ずれして使い物にならないことが判明し、断念しました。

当時のLABOTの内部 LABOTの内部
その後、安田製の炉を組み込んだ自動機を新たに製作しました。当初はオリフィスを毎回取り付け・取り外しできる設計にしましたが、オリフィスが変わるとデータが変わるという問題があり、固定の1個のオリフィスを掃除して使用する方式に変更しました。試料投入にはエアー式のアスピレーターを使用。カップに入った試料を吸引し、炉の上までアームが旋回して挿入しました。しかし、ゴム質のある試料が炉の上で引っ付いてしまう問題が発生したため、シャッター付きの試料カップを開発し、装置とカップの特許を三井東圧化学(現:三井化学)と共同で取得しました。当初、三井東圧化学(現:三井化学)が共同で販売を行っていましたが、後に三井東圧化学(現:三井化学)の開発課がなくなり、安田精機が権利を引き継ぎ、単独で販売することになりました。これにより、安田精機のヒット商品となり、現在までに約350台を販売することができました。さらに、12個掛け、24個掛け、50個掛け、A法付き、恒温槽付き、搬送装置付き、ストランド採取装置付きなど、様々な種類の製品を開発していきました。

More

Close

現在のLABOTのすがた

HISTORY 11 クリープの開発に傾注。

初期のクリープ試験機はB型クリープの竿式が主流で、竿の比率は1:1、1:2、1:3、1:5の4種類、荷重も100KG、200KG、300KG、500KGの4種類がありました。シンプルな設計で信頼性の高い試験が行えました。初期設計では、上部チャックが竿に連結された軸に取り付き、下部チャックがフレーム下から立ち上げた軸に取り付いていました。この構造により、試料の固定が確実に行われ、正確なデータが得られました。

旧型クリープB 旧型クリープB
しかし、試験が数ヶ月にわたるため、外気温度の影響で軸が収縮する問題がありました。この問題を解決するために、上部から持ってくる籠型の設計に変更し、外気温度の影響を受けにくくしました。竿式は荷重を手で載せ替える方式が危険とされ、注文が減少しました。一方、サーボ式のモーター+ロードセル式荷重方式は価格が高いものの、安全で荷重選択が容易なため、多くのクリープ試験がサーボ式に移行しました。現在、クリープ試験機の種類は多様化し、A型、C型、TR式、水槽付き、複合クリープ式、ガソリンクリープ式など、さまざまな試験ニーズに対応できるように進化しました。それぞれの方式が特定の用途や環境に適応し、精度の高いデータを提供しています。
サーボ式クリープ サーボ式クリープ

More

Close

現在のクリープのすがた

1984昭和59年

  • グリコ・森永事件
  • コアラが初来日
  • ソニー ポータブルCDプレーヤーを開発
  • ロサンゼルス・オリンピック
  • 世界の金融界に衝撃
  • マイケル・ジャクソン、グラミー賞で8冠
  • インド・ガンジー首相暗殺
  • ソ連がテトリスを開発
ヒートデストーションテスターオート
ヒートデストーションテスターオート
HISTORY 12 HDA 特許を取得。

ヒートデストーションテスターの自動化設計には多くの苦労がありました。特に、試料カセットを油槽の右側に3連式で配置し、2つのシリンダーで3つの位置に動かす仕組みの構築が難関でした。試料がビカット用、ISO試料用、ASTM試料用のストッパーで正確に停止するよう調整するのに苦労しました。

当時のヒートデストーションテスター
また、試料を掴むチャックの設計も難しく、パルスモーターで横方向に正確に移動させ、試料を支点の上に正しく配置するために何度も微調整を行いました。試料加圧端子が正確に試料を固定し、次の試料をスムーズに準備するシーケンスも複雑でした。
全ての試料をセットし、設定温度まで温度を上げて試験を開始するプロセスや、試験終了後に試料を廃棄位置まで運ぶ動作も慎重に設計しました。多くの試行錯誤を経て、148-HDAは効率的に試料の耐熱性を測定し、自動的に試料を廃棄することで、次試験の試料セットから次試験開始まで無人で連続運転を可能とする装置として完成しました。この設計により、試験プロセスの自動化と効率化が実現し、作業者の負担が大幅に軽減されました。また、この設計は特許を取得し、技術の独自性と優位性が認められました。

More

Close

現在のHDAのすがた

HISTORY 13 展示会に出典
HDA(自動機)の展示。

完成した148-HDAは、展示会にも積極的に出展されました。特に、HDA(自動機)の展示では、多くの関心を集め、プラスチック・樹脂業界関係者から高い評価を受けました。展示会では、実際に装置が動作するデモンストレーションを行い、試料の自動投入、試験、廃棄までの一連の流れを披露しました。これにより、来場者は装置の高い性能と効率性を直接確認することができました。この展示会への出展を通じて、新たなビジネスチャンスが生まれ、148-HDAの販売は当社の主力製品としてさらに拡大しました。

展示会場の様子
展示会場の様子
HD-500高温デストーション
HISTORY 14 HD-500の開発。

148-HD-500高温デストーションは、高温環境でプラスチックの耐熱性を測定する装置です。高温用に、架台、加圧軸、加圧端子には石英ガラス製を使用しています。これにより、高温での試験時にも安定した性能を発揮します。

HD-500高温デストーション
高温で試料が酸素に触れると燃える可能性があるため、槽内には窒素ガスを充填しながら500℃まで温度を上げ、冷却時には炭酸ガスを充填して冷却します。このタイプの装置は安全上の問題から手動式でのみ製作されています。試験後、架台部が昇降して上に上がり、後ろからファンで冷却され、次の試験のために温度を下げます。これにより、試験の繰り返しがスムーズに行えるようになっています。過去に設計されたこの装置は、試験プロセスの効率化と安全性の向上に大きく貢献しました。

More

Close

現在のHD-500のすがた

1985昭和60年

  • 科学万博つくば85が開催
  • 日本航空123便墜落事故
  • NTT、JT民営化
  • 利根川進教授がノーベル医学・生理学賞を受賞
  • 任天堂から「マリオブラザーズ」誕生
  • 大鳴門橋完成
  • プラザ合意
  • リチウムイオン二次電池を発明
  • パソコン通信サービス開始
  • 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
    大ヒット
HISTORY 15 豊中工場2件目
設立(伊丹空港付近)。

永楽荘付近に住宅が建ち始め、近隣住民への環境を配慮するために、新しい工場の設立を検討しました。そこで、立地条件やアクセスの良さを考慮し、空港付近に豊中工場の2件目を設立することを決定しました。この地域は工業エリアとして適しており、音の影響を軽減できると考えられました。これにより、地域住民との共生を図りながら、持続可能な工場運営を目指し、地域社会との調和を図ることが期待されました。

豊中工場の外観
豊中工場の外観

1987昭和62年

  • 竹下登総理就任
  • JR、国鉄分割民営化
  • NTTが携帯電話サービス開始
  • ゆとり第一世代の誕生年
  • 安田生命がゴッホの「ひまわり」を
    53億円で購入
  • ソ連、ペレストロイカ開始
  • マイケルジャクソン、ソロ初来日
  • ブラックマンデー
  • エイズ禍拡大
1本柱のオートストレン
1本柱のオートストレン
HISTORY 16 引張試験機
(オートストレン)を開発。

当社は引張試験機(オートストレン)を開発しましたが、他社に遅れを取っていました。当時、他社の機械が先行しており、種類も多く価格も安価だったため、当社の製品はあまり市場での競争力を発揮できませんでした。

2本柱のオートストレン 2本柱のオートストレン ロイド社見学の様子 ロイド社見学の様子
また、サーボモーターが出始めたばかりで価格が高く使用できなかったため、ギヤーチェンジ式の引張試験機や変速モーターを代替として使用していました。引張試験機は様々な容量のものを製作していましたが、販売は苦戦しました。そこで柱を1本ではなく、2本にすることで、試験時に安定的に力を加えることができました。これにより、試験結果の精度と安定性が向上しました。その後、ロイド社の引張試験機を安価で購入できることになり、当社での引張試験機の製作をやめ、購入品に切り替えました。槽のみ安田製を使用し、ロイド社の機械に取り付けて使用しました。さらに、イギリスのロイド社を訪問し、現地の会社を見学しました。その際、ドイツの展示会にも参加し、最新の技術や製品を学ぶ機会を得ました。これにより、引張試験機に関する知識と市場理解を深めることができました。その後、海外製で性能的・価格的にも競争力のあるロイド社と提携することとなり、ロイド社製の引張試験機の日本総代理店となりました。メーカーとしての役割も担い、槽のオプション対応や、メンテナンスは当社が受けもち、ユーザー様に安心して使用してもらう体制を構築し、付加価値を高めた製品を提供することで顧客満足度を向上させるとともに、競争力を強化しました。

More

Close

現在の引張試験機のすがた

1990平成2年

  • 明仁天皇・即位の礼
  • バブル経済崩壊
  • 任天堂が「スーパーファミコン」発売
  • 大阪で「花の万博」
  • ホンダNSX発売
  • 日本人初の宇宙飛行士(秋山豊寛氏)
  • 東西ドイツが統一
  • ゴルバチョフ大統領就任
  • World Wide Web世界初のウェブページが公開
  • サッチャー英首相辞任、
    後任にメージャー氏
HISTORY 17 保養所を設立。

当時は社員寮も併設しており、社員が仕事に集中できる環境づくりを整えていました。さらに、社員が休暇の時に自然の中でリラックスし、日常の業務から離れてリフレッシュできるようにと、この当時は東条湖に保養所があり、ログハウスでバーベキューを楽しめるようになっていたようです。残念ながら工場の移転に伴い、この保養所は閉鎖となりましたが、バーベキュー行事は現在でも当社の恒例イベントとして根付いています。

ログハウス外観
ログハウス外観

工場移転。新たなスタート。

1991平成3年

  • 海部俊樹総理辞任 宮澤喜一総理就任
  • 長崎県の雲仙普賢岳で火砕流発生
  • NECの飯島澄男氏が
    カーボン・ナノチューブを発見
  • 青色LED 実用化
  • NEC,TFTカラー液晶搭載の
    ノート・パソコン発売
  • ソビエト連邦崩壊
  • 湾岸戦争
  • バルト3国独立
  • 「羊たちの沈黙」アカデミー賞で主要5部門を受賞
HISTORY 18 西宮北工場開設。

伊丹空港の隣に暫く工場を設営していましたが、業務の統合を目指して新しい土地を探しました。新工場の増設時には、試験機の配置や加工場、倉庫、デモ室の設置が行われました。奥には検査室と中間の物置き場を設けました。この増設により、工場全体の効率と機能性が向上しました。

西宮北工場外観
西宮北工場外観
工場開設に伴い、多くの人材を採用し、規模を拡大しました。
西宮北工場オフィス 西宮北工場オフィス
西宮北工場 西宮北工場
工場 組立の様子 工場 組立の様子

More

Close

HISTORY 19 シンガポール駐在事務所開設。

過去に当社は、アジア市場での事業拡大と地域のお客様への迅速な対応を目指し、シンガポールに駐在事務所を開設しました。
シンガポール駐在事務所の設立のきっかけは、幸三氏が展示会で知り合ったシンガポールの友人です。この友人との繋がりを通じて話が発展し、現地でのお客様に対するサービスの質とレスポンスが大幅に向上しました。現地での市場調査やお客様との直接的なコミュニケーションを強化し、現地のニーズに即応した提案が可能になりました。
シンガポールの企業や業界団体との連携を深め、協力関係を築くことで、事業の成長を加速させることができました。

安田陽太氏、真太氏の入社後の歩み

幸三氏の病気をきっかけに、息子の陽太氏(現社長)と真太氏が後継者として入社しました。社長が亡くなり、妻の淑子氏がピンチヒッターとして代表を務めました。
前職が銀行員だった陽太氏は、財務の安定と営業戦略の強化を進め、アルバイト時代に学んだAdobeソフトを駆使し、写真撮影やカラー印刷、SEO対策などを導入し、PRを強化しました。その結果、入社から2、3年後にはインターネットからの問い合わせが増加しました。
真太氏は機械設計で経験を積み、工場の現場監督となりました。現在、陽太氏は安田精機製作所の社長に就任し、真太氏は安田精機ホールディングスの社長として活躍し、2社は成長を続けています。

1994平成6年

  • 細川護煕総理辞任
    羽田孜任総理就任・辞任
    村山富市総理就任
  • 関西国際空港・但馬空港 開港
  • ソニー「PlayStation」発売
  • デンソーがQRコードを発表
  • ホンダ・オデッセイ発売
  • 大江健三郎がノーベル文学賞受賞
  • 北朝鮮金日成死去
  • 米Amazon.com社 創業
HISTORY 20 英国KAYNESS社
(現DYNISCO社)と提携
手動メルトFWPの開発

当社はダイニスコ社と提携し、FWP手動メルトの開発を行いました。この提携は展示会での出会いがきっかけです。
ダイニスコ社の先進技術と当社の製造ノウハウを融合させ、より高品質で効率的な製品を市場に提供することができました。この提携により、技術者同士の交流が活発になり、新たなアイデアの創出が促進されました。

現在の120-FWPのすがた

過去のFWP
過去のFWP
過去のFWP

1995平成7年

  • 阪神・淡路大震災
  • 地下鉄サリン事件
  • カシオがデジタル液晶を初めて採用したカメラ「QV-10」発売
  • 東芝がDVDを開発
  • 世界貿易機構(WTO)設立
  • 仏が核実験の再開を表明
  • 米連邦政府ビルで爆破テロ事件
  • 米Microsoft 社が
    「Windows 95」を発売
  • 「トイ・ストーリー」公開
祝賀会の記念写真
祝賀会の記念写真
HISTORY 21 創立40周年を迎える。

創立40周年を迎え、社員数が32名になりました。新入社員の積極的な採用により、チームの総合力も向上しました。40周年記念の祝賀会では、過去の功績を称え、未来への展望を共有しました。

2001平成13年

  • 皇太子妃雅子さま、
    敬宮愛子内親王をご出産
  • 米で同時多発テロ
  • 東京ディズニーシー開園
  • 小泉純一郎内閣開始
  • ブッシュ大統領就任
  • 米マリナーズのイチロー、
    MVPと新人王受賞
  • 米Apple社が「iPod」発表
  • USJが大阪市にオープン
  • 「ハリー・ポッターと賢者の石」公開
HISTORY 22 ISO9001 認証・登録

ISO9001の認証・登録を取得しました。以下の文書を作成、厳しい審査を通過しました。

  • ISO文書の手順書
  • 設計審査文書
  • 設計検証文書
  • 妥当性確認文書
  • 外注先の評価文書
  • コストダウンの文書
  • 新規開発品予定の手順書
ISO9001
審査は約20年間続けられています。これにより当社は、メーカーとしての信頼性の裏付けとして、高い品質基準を維持し、製品開発から製造、出荷に至るまで厳格な品質管理を行っています。

More

Close

2003平成15年

  • 沖縄都市モノレール開業
  • JR西日本 ICカード・ICOCAを導入
  • 松井選手、米大リーグで活躍
  • 地上デジタル・テレビ放送開始
  • イラク戦争勃発
  • 「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞・長編アニメ賞を受賞
  • 「リング」が世界中で大ヒット
  • 新型肺炎(SARS)が大流行
工場統合時の記念写真 工場統合時の記念写真
HISTORY 23 本社移転。
西宮北工場と統合。

豊中市永楽荘の老朽化に伴い、本社機能を西宮北工場に統合されました。この統合により、すべての業務を一箇所で行えるようになりました。

この決定は、業務の効率化と生産性の向上を目指したもので、本社に残って働いていた社員も全員こちらへ移動しました。これにより、チーム全体の連携が強化され、より効果的な業務遂行が可能となりました。

More

Close

2004平成16年

  • 新潟県中越地震
  • アテネ・オリンピック
  • 任天堂が「ニンテンドーDS」を発売
  • ソニーが「PSP」を発売
  • オリックス・バファローズが誕生
  • 「冬のソナタ」で韓流ブーム
  • 米大統領選でブッシュ氏再選
  • EUが25カ国に拡大
  • スマトラ島沖地震
  • 「mixi」、「Facebook」 設立
HISTORY 24 東京営業所移転(現住所)

東京営業所を開設し、当初の大山から板橋へ移転しました。移転の決定は陽太氏が行いました。新しい場所は商店街が近く、アクセスが良く非常に便利な立地です。また、周囲にはたくさんの食べ物屋があり、食事の面でも充実しています。

東京営業所入り口 東京営業所入り口

2009平成21年

  • 鳩山由紀夫総理就任
    民主党政権 政権交代
  • 新型インフルの感染広がる
  • 裁判員裁判始まる
  • トヨタ 3代目プリウス発売
  • AKB48総選挙 前田敦子が首位
  • 鹿児島県の桜島が爆発的噴火
  • ハドソン川の奇跡
  • バラク・オバマが米大統領就任
  • マイケル・ジャクソン死去
  • 「アバター」世界興行収入27億8800万ドル
西宮優良事業所表彰状 西宮優良事業所表彰状
Nishinomiya tech prize
HISTORY 25 西宮優良事業所表彰 顕彰を受賞

メルトフローレート試験において西宮優良事業所表彰を受賞しました。従来、自動化が困難とされていたパウダー、シート、フィルム状の異なる形状の試料装入について、完全に一貫した自動測定を実現しました。

これにより、熱可塑性樹脂や合成ゴムなどの高分子物質全般にわたって、精度の高い安定したメルトフローレートの完全自動化測定が可能となり、国内外の大手化学メーカーを中心に多くのユーザーからご支持をいただいています。

More

Close

2010平成22年

  • 鳩山由紀夫首相辞任、菅内閣発足
  • 小惑星探査機「はやぶさ」帰還
  • 宮崎県で口蹄疫、牛豚29万頭処分
  • 日産・リーフ発売
  • チリ鉱山、作業員33人奇跡の生還
  • 中国の国内総生産(GDP)、
    日本を抜き世界2位の経済大国に
  • 北朝鮮 金正恩氏、後継者に
  • 日本人2人がノーベル化学賞を受賞
  • 日本年金機構が発足
HISTORY 26 エコアクション21認証・登録

エコアクション21は、環境省が策定した環境経営システムであり、持続可能な社会の実現に向けた企業の努力を認証するものです。当社は、この認証取得により、環境保全活動に真摯に取り組んでいることを正式に認められました。

エコアクション21
10年間の継続的な努力が評価され受賞 10年間の継続的な努力が評価され受賞

2013平成25年

  • アベノミクス始動
  • 福島第1原発、汚染水深刻に
  • TPP交渉に参加
  • 富士山、世界文化遺産登録
  • 長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞
  • 中国トップに習近平氏
  • スノーデン事件
  • インドで政権交代 モディ首相
  • 「和食」がユネスコ無形文化遺産に
  • 「アナと雪の女王」が大ヒット
HISTORY 27 中国・上海に雅司答(上海)貿易有限公司を設立。
タイ・バンコクにSiam Yasuda Seiki Co., Ltd. を設立。

中国・上海に雅司答(上海)貿易有限公司を設立しました。これにより、中国市場への進出を本格化させ、現地のお客様との信頼関係を深め、迅速かつ柔軟な対応が可能となりました。上海はアジアのビジネスハブとしての重要性が高まっており、この拠点を通じて多くのビジネスチャンスを掴むことができました。また、現地の代理店と協力し、ローカルなニーズに応じたサービスを提供することで、さらなる成長を目指しています。

また、タイのバンコクにSiam Yasuda Seiki Co., Ltd.を設立しました。バンコクは東南アジアの経済の中心地として急速に発展しており、この拠点を設けることで、東南アジア全域への事業展開を進めました。タイ市場だけでなく、周辺国への輸出も視野に入れた戦略的な拠点として、ビジネス拡大を支える重要な役割を果たしました。
雅司答(上海)貿易有限公司 ロゴ 雅司答(上海)貿易有限公司 ロゴ
Siam Yasuda Seiki Co., Ltd. ロゴ Siam Yasuda Seiki Co., Ltd. ロゴ

More

Close

60周年祝。

2015平成27年

  • マイナンバー制度開始
  • サイバーセキュリティ基本法が施行
  • 日本人科学者2人がノーベル賞
  • ラグビーW杯で日本が3勝の歴史的快挙
  • パリ同時多発テロ事件
  • ネパールで地震
  • 人民元が国際通貨に
  • ギリシャ金融危機
  • 「爆買い」が流行語大賞に
  • 米・キューバ国交回復
60周年パーティーの様子 60周年パーティーの様子
HISTORY 28 60周年イベント

華やかな雰囲気の中、美味しい料理や飲み物が振る舞われ、会場は笑いと歓声に包まれました。参加者全員が楽しめるゲームが行われ、Sさんが見事に勝ち抜き、豪華景品である京都ホテルオークラの宿泊券をゲットし、喜びの表情は一同の注目を集め、皆が祝福しました。

社員同士の絆を深め、これからの更なる飛躍を誓う素晴らしい機会となりました。今後も一丸となって、新たな歴史を築いていく決意を新たにしました。このパーティーは、コミュアップ委員会が設立された頃に現本部長のKさんが企画しました。

More

Close

2017平成29年

  • 祝・ご婚約、秋篠宮眞子さま
  • 「インスタ映え」が流行語大賞に
  • ガス小売全面自由化
  • プレミアムフライデー初実施
  • 将棋の藤井四段が29連勝
  • ドナルド・トランプ氏、大統領に就任
  • 金正男、マレーシアの空港で暗殺
  • マクロン大統領就任
  • 韓国大統領に文在寅氏
  • TikTok サービス開始
HISTORY 29 工場の増築拡張により、増産体制を構築。

社員数の増加で作業スペースが狭くなったため増築を決定。これにより、営業部の努力で受注数が増加し、生産性も向上しました。また、駐車場の問題も解決されました。増築によって、会社全体の生産能力と業務効率が大幅に改善されました。

西宮北工場外観 西宮北工場外観

2021令和3年

  • ジョー・バイデン氏が米大統領に就任
  • スエズ運河でコンテナ船座礁
  • 世界の物流に影響
  • メルケル首相16年の任期終了
  • タリバンアフガンを制圧
    米軍、アフガンから撤退
  • 新変異株「オミクロン株」、
    世界で感染拡大
  • 新型コロナの世界感染者2億人超
  • 欧州洪水
  • Facebook, Inc. からMetaに変更
HISTORY 30 株式会社安田精機ホールディングスに社名変更。
株式会社安田精機製作所と分社化。

株式会社安田精機ホールディングスに社名を変更し、株式会社安田精機製作所と分社化しました。これにより、安田精機ホールディングスは海外市場への展開を本格化し、安田精機製作所は製品の開発・製造に専念できる体制が整いました。また、安田真太氏は海外市場の調査や展示会への参加を通じて、海外の取引先との関係を強化しました。この新体制により、国内外の市場競争力が一層高まり、効率的な運営が実現しました。

安田精機製作所 ロゴ 安田精機製作所 ロゴ
安田精機ホールディングス ロゴ 安田精機ホールディングス ロゴ
HISTORY 31 代表の交代。

これまで社長を務めていた淑子氏に代わり、陽太氏が新たな社長に就任しました。陽太氏のこれまでの実績とリーダーシップが評価され、新たなビジネスチャンスを追求し、グローバル市場での競争力を強化することが期待されています。社員一同、陽太氏のリーダーシップの下で、さらなる飛躍を目指して取り組む決意を新たにしています。

3代目社長 安田陽太氏 3代目社長 安田陽太氏

代表挨拶はこちら

2024令和6年

  • 能登半島地震
  • 羽田空港地上衝突事故
  • 去年の出生数75万人余で過去最少
  • 円安加速 一時1ドル=160円台に
  • 日本の去年1年間の名目GDP4位に
  • JAXA探査機「月面着陸に成功」
  • 「君たちはどう生きるか」「ゴジラ-1.0」アカデミー賞を受賞
  • 「TikTok」のアメリカ国内での利用を禁止できる法案を可決
  • スウェーデン NATO 加盟
現地代理店スタッフと記念撮影 現地代理店スタッフと記念撮影
HISTORY 32 中国最大の展示会
「CHINAPLAS」に出展。

CHINAPLAS2024は、4月23日から26日まで中国・上海で開催された、プラスチック・ゴム産業の世界最大規模の展示会です。当社は「120-LABOT」と「189-PNCA」を出展し、中国や世界各国の企業や開発者に製品や安田精機を知ってもらうことを目指しました。現地代理店のスタッフの協力もあり、多くの方々が足を運んでくださいました。

自動機を解説する海外営業課の社員 自動機を解説する海外営業課の社員
展示会では、近年中国市場でも注目されている「知能化(自動化)」に対応したプラスチック・ゴム試験の知能化技術を紹介しました。知能化技術とは、機械がリアルタイムで状況を把握し、変化を検知して人を介さずに適切な処理を行うシステムを指します。CHINAPLAS 2024への出展を通じて、プラスチックやゴム産業における試験機の重要性と最先端の知能化技術を広めることができました。

More

Close

HISTORY 33 社員数が100名超える。

社員数が100名を超え、会社は新しい節目を迎えました。採用活動に奮闘した結果、優秀な仲間を迎え入れることができました。新しい仲間と共に働くことで、会社全体が活気に満ち、豊かなアイディアが生まれます。私たちはお互いを支え合い、共に成長してきました。サービス・品質の向上を目標に、効率的な情報共有や連携を進め、皆が最大限のパフォーマンスを発揮できる環境を今後も整えていく方針です。また、教育や研修の機会も増え、全員がスキルアップを図りながら、協力しています。

設計課の若手社員とベテラン社員 設計課の若手社員とベテラン社員